carpe diem

ここには何もない

N&A 秋宵に消ゆ

 今日はいくらなんでも分かる。服の選定を誤ってしまった。

 岡沢町のスクランブル交差点から横浜駅西口へと向かう道は、昼夜問わず人の往来が激しい。日中に通った時は全く気にも掛けなかったのだが、皆の素肌が隠れていることにようやく気付いた。

 気付いてしまえば最後、ますます衣替えが進んでいることを思い知る。すれ違う人みんながもう露出度が低い服ばかり着ているのだ。幸橋で肩をそびやかし煙草を吹かしながら、せわしなく「居酒屋は?」と通行客の誘拐を狙う連中は、おそらくつい最近まで海パン一丁のスタイルで江ノ島や逗子の砂浜で大車輪の活躍を見せていたような風貌であるのだが、そんな彼らですら今夜は長袖・長ズボンである。

 私は毎年季節に取り残される。そして毎年後悔する。今宵のスタイルはリネンの半袖白シャツに黒の七分丈スキニーに黒のサンダル。情けなさに天を仰ぐ。八月の尋常じゃなく暑い日々の中で当たり前のように出てくる秋物のニュー・アライバルを鼻で笑っているからこうなる。それを購入してインスタグラムにアップするおしゃれさんに薄ら笑いを浮かべているからこうなる。でも毎年これを繰り返している。おしゃれさんは早すぎて、私は遅すぎる。

 季節の変わり目には体調管理に注意しましょう。各方面からアドバイスを受ける。地元の母からもそういうメッセージが来るし、朝の天気予報で綺麗なお姉さんも教えてくれる。だが、いくらそれが真実だろうと、言われ慣れてしまえばその言葉の意味合いは遥か彼方に消える。形骸化された文言だけが記憶の中に残るだけだ。だから、「季節の変わり目には体調管理に気を付けましょう」と言われた私の思うことは、分かってるよ、である。本当に分かっているなら毎年同じ時期に風邪を引いたりしないはずである。

 そもそも、小学生時代の教諭が推し進めていた「一年中半袖半ズボン励行政策」が私の習慣に根付いているのかもしれない。これを達成したものにはささやかな表彰が行われ、ささやかなものでありながら、当時の私にとっては光り輝く栄誉であったのだ。これを受け取るため、風雨を耐え忍び、時に雪が降っても構うことなく、ついには6年連続受賞の快挙を成し遂げたのだ。

 六年連続受賞の快挙は、功績による誇りや名声よりも、その後に残した影のほうが大きかった。多少の寒さであれば薄着でも構わないという思いが、無意識的なところまで根付いてしまったのである。「三つ子の魂百まで」とは言うが、何も四歳の魂は百まで続かないという話ではなく、幼少期の習慣や体験というものはいつまでも残っていくものだろうと私は思う。それを前提とするならば、六歳から十二歳まで頑なに薄着を貫き通したことが、今なお私の人生に影を落としているというのも自然な話であろう。当時は少年の制服の話で、ファッション性などは無視でよかったのだが、それが大学生ともなれば、季節感のない服装というものは禁物だ。それを理解しながらも、私は過去の自分から脱却できないでいる。

 そういえば、寒くなれば当時は「Yes, We Can」としきりに唱えていたはずだ。ひどく懐かしく感じる。このフレーズが世を席巻したころは確か小学校の五年生ぐらいだった。同年代で私以外は薄着にこだわっている者などおらず、寒さを我慢しているのは「We」でもなかったな、と時々思い返すことがある。

 もうこんなことは繰り返さない。強い思いを胸に、私は十月の夜空に誓う。空を見上げたまま、ハッと息を吐いても、それは白くならなかった。そこまで寒くもないかもな、とぼそっとつぶやいてから、私は駅の方向へ歩き出した。

 相鉄線の交番の前にやってくると、上石と根羽はもう先に到着しており、二人してギャハハと知性を感じさせないバカ笑いを披露していた。決して会いたかったわけではないが、私は彼らに会いに来たのである。うぃーす、と私がそこに加わると、上石のほうがその挨拶に応えるより先に、大学生特有の末尾を上げるイントネーションでこう言った。

 

「お前、それ寒くね?」

 根羽も「それな」と呼応してまたバカ笑いをはじめる。私は「ああ、周りの人が聞いていませんように」と願う。夕刻の横浜駅のような人の海原を歩く者は、周囲が薄着かどうかなど気にしているはずがない。これは、私自身も周囲の衣替えに気付かなかったという事実に基づいている。しかしさすがに耳に入れば私のほうを見るはずだし、その薄着に気付いて笑ってしまうはずである。

 だが、運の悪いことに上石と根羽は声が大きい。ハラスメントといえるほど大きい。ボイス・ハラスメントである。周囲の目を特に気にする私は、いくつかの視線を感じて俯きたくなってしまうが、いまさらどうしようもない。

 ノースフェイスの雨合羽みたいな黒のアウターに、アディダスのジャージというストリート風情の格好をしているのが上石。黒のハットにベージュのカーディガンを羽織ったナオト・インティライミみたいなコーディネートをしているのが根羽だ。二人とも、しっかりオータム仕様のスタイルでやってきており、気候への対応は万全なようだ。こいつらは実家暮らしだからな、と私は苦しい言い訳を心中で発する。

 正直、彼らのことは苦手である。しかし、遊ぶ相手もこいつらぐらいしかいない。

 大学で多少友達作りに難儀した私は、少なくとも学部にいくつかの友達を用意しておかなければ、単位取得に支障をきたすと判断し、勇気を振り絞ってこの連中に声を掛けたのだ。それが運の尽きだった。友達作りには苦労がなく、キャンパスを歩けば知り合いと絶えず挨拶を交わすようなこの二人は、なぜか私を気に入ってしまったのだ。それはイーブンな関係ではなく、自分よりランクが下の、おもちゃとしてである。

 上石と根羽はともに大学のテニスサークル「Brind Shot」通称「ブラショ」に所属し、二回生の時期はサークル長と副サークル長として栄華を誇っていた。常日頃から「ブラショは結構真面目なテニサーだべ?」と胸を張っていたものだが、「真面目なテニスサークル」という自己申告ほど信用してはならないものはなかなか見つからない。「行けたら行く」と言った友人が実際に来る可能性の方が高いかもしれない。それは学内の他の生徒も共通の認識なようで、「Brind Shot」という団体名は「女を目隠ししてセックスする」という由来があるだとか、本当はブラジャー・ショーツの略であるとか、そういった陰口は絶えない(私にとってすればそんな稚拙な揶揄はこのサークルと同じぐらい低レベルである)。

 ちなみに私もサークルに所属している。ブラショではなく、将棋サークル「金星会」である。間違いなく胸を張って言える、金星会は真面目な将棋サークルだ。

 

 上石と根羽と合流した後、私は来た道を再び引き返し、横浜ビブレの前にある広場にやってきた。広場で一行は先方の到着を待つ。私は今日、上石と根羽以外にも待ち合わせている人たちがいるのだが、私たちはそれに先立って早く集合しておいたのである。先方との集合は一八時半にビブレ前なので、こちらは三人で一八時ちょうどに相鉄交番前に待ち合わせることになっていた。先方との約束までまだ二十分ほど時間が余っている。

 上石と根羽は少年漫画の話に花を咲かせているが、ワンピースすら読んだことがない私は話題に入ることができず、壁に張り出されている筒香嘉智の巨大ポスターをなんともなしに眺めていた。このポスターが張り出されたことに初めて気付いたそういえば夜のことで、暗い時間帯に筒香の鬼気迫る表情が頭上に現れたことで、恐怖にも近い感情でわずかに後ずさりしたのだったが、今となってはこれが張り出される前の風景が思い出せない。

 海風がビルの間から入ってくる。夜が深くなるごとに風はますます冷たくなる。勝俣州和じゃあるまいし、せめて上着か何か持ってきていればこんなことにはならなかったのに、だとか、早く店に入らせてくれ、だとか色々な思いを抱えつつ、私は一人「おー、さむ」と言いながら素肌がむき出しになっている二の腕のあたりをさすった。先週の夜の気候はどんなだっただろうか、まったく思い出せない。

「そろそろ着くってよ」根羽の声で私は背筋が伸びる。

 本日の私たちの目的は、男性三名、女性三名の計六名による「意見交換会」である。私は女性陣の面々と互いに認識がなく、人脈の広い上石および根羽の活躍によりこれは実現した。とはいえ、両名も先方のメンバーで面識があるのは一名だけらしく、残り二名に関しては一切の情報を持ち合わせていないそうだ。当の女性陣で面識がある一名が先方のメンバーを選定し場をセッティングしてくれるようで、彼女は容姿がたいへん優れているという前情報を二人から仕入れており、おそらく残りの女性二人についても同じようにある程度期待はできるのではないか、というのが男性チームの総意であった。

 まったく興味などない、といった表情を演出しつつ、私はまた筒香の巨大ポスターに視線を戻す。徐々に高鳴る鼓動を抑えるために、日本の四番打者のように厳しい場面でも飄々とした態度を通すことで、動揺などしておらぬ、と他者だけでなく自らすら欺く作戦である。

 女性経験がほぼ皆無な私にとって、初対面の女性と顔を合わせるというのは非常に難易度が高い。底知れぬ不安に襲われ、走って逃げだしたく気持ちになるのだが、わずかに残った期待感がそれを妨げる。考えてみれば、今日の私は季節外れの薄着野郎だ。間違いなく笑いのネタにされ(それもおそらく序盤で)、いつものおもちゃとしての役割が先方にも波及してしまうに違いない。私はまた逃げ出したくなった。

 しかし今回の私は意気込みが違う。人生初の「意見交換会」への参加を決意し、平素は絶食系男子として活躍する私ではあるが、肉食系の権化たる二名の友人にあやかり、こちらもガツガツと攻めていこうという方針を立てている。今日は必ず一晩で最後まで行く。末長い付き合いなどいらない。私は、自分が今日で初めて素人の女性を知ることになると信じてやまない。俺はやる、やりたい、やらなくちゃそれはカス、である。テニサーどもの末路がどうなろうと知らない。本日の主役はこの私であり、なんなら一晩で三人まとめてお手合わせすることも吝かではなかろう。「Yes, I can」と心で唱える。「We」などではない。何と言われようが、今日はチーム戦ではなく個人戦である。チームワークで打破しようとはつゆも考えてはいないが、彼らを利用できる部分は存分に利用していきたい。日々カーストの下層として虐げられている鬱憤を晴らすときが今来たれり。

 駅の方向からやってくる人波の中に、三人組の女性を遠くに捉えた。このビブレ前の通りとなれば、グループで歩いている女性などなんら珍しくもなんともないが、なぜか私には「あの人たちだ」という確信めいたものがあった。

 すると、ナオト・インティライミ風情の根羽が「来た来た」と手をブンブン振る。上石もおおっとか言いながら合わせて手を振る。女性らもそれに気付いたようで、小走りに来るわけではないが、私たちのほうに向かって確実に歩を進めている。私は女性陣全員が初対面になるので、上石と根羽に合わせて手を振るのがなんだか恥ずかしく感じられ、腕を組んだまま立っているだけになった。

 女性陣が近づくにつれて、三人の先頭に立って歩く女の顔が徐々に見えてくる。おそらくこの子がテニサー二人と面識がある、女性陣の招集を行ってくれたという子であろう。容姿と振る舞いから直感的に理解する。愛らしいというよりかはモデル系の顔立ちに近い。そして私たちとの距離が五メートルほどになったところで、その後ろを歩いていた残りの女性二人が、先頭の子の背後から左右にヌッと現れてきた。その瞬間、私は天を仰ぎそうになるのをなんとか我慢する。「マジか…」という心の声も合わせて閉じ込める。

 心のどこかに潜めていた期待する心は、長くそこに留めすぎたあまり、いつしか期待というより、当然そうであるべきだというものに変化していることに私は気付けなかったようだ。そして、現実を目の前に突き付けられたとき、心に留まっているものが期待であるときよりもずっと、深い絶望を与えられることになったのだ。

 ひさしぶり、と飛びつくように上石と根羽に話しかけるモデル系の女に合わせ、はじめまして、だとか、こんばんは、だとかペコペコと男性陣三人に挨拶する残り二人の女。照れくさそうに笑った時により一層インパクトが強くなり、私はもはやその印象を口に出してしまいそうになるのを必死でこらえる。

 モデル系女が引き連れてきた二人の女性は、筒香嘉智と、バラク・オバマの顔立ちそのものといえるほど、そっくりだったのである。